「信教の自由」を謳う日本と、「キリストへの信仰がベースになる」ゴスペル。
その齟齬は、日本でゴスペルサークルが生まれたと聞いた時から、 実は何となく感じていたのですよ。 突っ込んで話すと方向がズレそうなので敢えてそのへんは語りませんが、 宗教は置いておいても、人の考えの違いって、なかなか埋まらないもんですよね。 さて前回の続きから。 その飲み会を開こうとしたら、コミュニティの管理人がこう言い出したのです。 決起集会って感じが、どうも重い気がします。 顔あわせして「どうも」くらいで軽い感じだと行きやすいと思うんですけど。 ほとんど発言してくれる人もいないので、集まり的には難しいと思います。 みなさん結局は個人個人で好きなようにしてはるみたいなんで。 飲み会を「決起集会」と銘打ったのは半分シャレですが、 でもそのぐらいの意気込みがないとサポーターらしくないし、 そもそもそこまで危機意識を持たなければならないチーム状況です。 (J2降格2度目、主力選手大量流出、フロントは責任を取らず残留) でもmixiでイベント立てないと、普通会合に招集ってかけられないですよね? その時点でも意味不明なのに、 その後もブログにコメントくれればいいのにコミュ内でトピ立てて返答するし、 それにしょうがなく返答したら「個人攻撃」だの「落ち着きましょうよ」だの言われる始末。 挙げ句、管理人がこう言い放ちました。 僕が敢えて飲み会を企画しなかった意味を考えて下さい。 今日どこどこで呑みますので良かったら来ませんか? とトピを立てて、 そこから来れる人が気軽に集まるようにするのが僕の理想です。 暗にワシのやったことを「出過ぎたこと」と批判された訳です。 そのコミュは結局「ムーブメントを起こす」など出来ず、 単なる試合の感想を語り合うコミュに成り下がってます。 「そういう『場』を提供しているんだ」と管理人は仰いますが、 それだったらそのチームのコミュが既に存在しているんだし、無意味にしか思えません。 で、まぁそう言いつつも飲み会はどうにか開かれたんですが、 会場に突如、誘ってもいない人間が我が物顔でどっしりと座り始めました。 サポーターコンベンションで議論をかき乱したおっさんです。 「この店は俺の行きつけや。会場のマスターとは古い付き合いやねん」 と言って強引に参加して来たのです。 そして大きな声で戦術だのフロント批判だのを繰り広げる始末。 ひとり熱血女子高生サポーターがいたのですが、 「私はそんな話をしに、ここに来てるんとちゃうねん!」というオーラをむんむん出してました。 いたたまれなくなって呼び寄せて、30分ぐらいサシで話を聞いてあげましたよ。 結局もう自分なりに自由に語ろう、と思ってそのコミュは退会しました。 しかし「勝って欲しい」「優勝して欲しい」というベクトルは同じはずなのに こんなに人によって考えや行動がバラバラになってしまうのはどうしてでしょうね。 理想論・観念論に走り過ぎてるようには思えます。 「サッカー文化」とか言い出してるし。 その割には「制空権」を取っている人たちの言動に不可解な点が多いんですよね。 選手も、スタッフも、そしてサポーターも。 まずは勝たなきゃ話が進まないと思うんですけどね。 純粋に応援しなきゃ選手の叱咤にならないと思うんですけどね。 このままだとこのクラブ、消滅してしまうんじゃないかと心配です。 昔でいえば横浜フリューゲルス。 親会社のゼネコン佐藤工業が撤退して、全日空だけで経営維持して行けなくなったので、 日産自動車に話を持ちかけ、チームを合併させて「横浜Fマリノス」を誕生させてしまいました。 野球で言えば記憶に新しい近鉄・オリックスの合併もありました。 そういう憂き目に、我がチームが遭わないかと心配でなりません。はぁ… ■
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by mukougishi
| 2007-04-27 23:29
| ryo-ta
分割した割に、えらく長い後編です。
しかもなんだかまとまり悪いなぁ。 それだけまだ自分の中で収拾がついていないとも言えるのですが。 それにしても、何かを愛し目的は同じはずなのに、どうしてすれ違ったり軋轢ができてしまったりするんでしょう。それぞれが思いやれば、なんてキレイゴトだけでは解決はしないでしょうね。 所属していたクワイアは、4年ほど前にとあるワークショップに参加した4名が集まったことでスタートしたそうです。 ひとりがリーダーになり、残り3人が運営を支え、メンバーが増え始めて一旦リーダーがお休みに入って交代、運営スタッフはひとり増えて結局また4人体制で、私はこの状態のときに加入しました。 最初のリーダーが降りたのは、本人の事情の他にも、運営方針の違いなどがあったそうです。 全ては人伝、あるいは本人からの説明によるもので、リアルタイムで何が起こってどうなっていったのか、肌で感じることはできません。 そして去年の秋、主に指揮・指導をしていた運営スタッフとリーダーとの方向性の違いで、指導スタッフが無期休会を選び、クワイアを去っていきました。 メンバーの中で最も経歴の浅い私には、去って行ったメンバーの方が無責任に見えていました。それは今でも全てを否定しきれないとは思っています。 が、クワイア内の不協和音は、このあたりを境に誰の耳にも聞こえるようになってきていました。 端的に言うと、ゴスペルを通して神様の存在や愛を伝えたいリーダーの運営方針に、クリスチャンがひとりも居ないクワイアのメンバーがついていけなくなった、ということだと思います。 私自身は、メンバーが何かを訴えても、リーダーの耳には入っていないように見えました。入っていたとしても、今起きている問題は全て神様が与えた試練と受け取り、訴えている人自身を見ていないようでした。 最終的なキッカケは、日頃とてもお世話になり、指導していただいている東京在住のゴスペルシンガーである先生を地元に呼び、我がクワイアが全ての運営をする形のライブを行うという大きくて重要なイベントを、メンバーの明確な意思を確認せずに運営側だけで進めていたことです。 私たちのような地方の小さなクワイアのライブとは格が違いますので、チケットの価格もそれなりになります。そのチケット売り上げのノルマがあり、売り上げ枚数が先生のギャラに直結するという企画を聞いて、それまでおおまかにワークショップ込みの合同ライブくらいの把握しかしていなかったメンバーから一気に不満が噴出しました。 とはいえ、全員クワイアを愛していました。一緒に歌い、泣き、笑ったことは全員の胸に刻まれていることで、そこから離れるという決意は、並大抵ではなかったと思います。 でも結果的には、現時点で10人ものメンバーが辞め、数人は保留中になっています。 私は元々人との繋がりを簡単に諦められない性分で、今回の件もギリギリまで考えて悩みました。まだ何か打開策があるかもしれないと思い続けていましたが、私も自身が楽しく歌える貴重な時間を優先しました。 その後、辞めたメンバーが自然と結束しだしました。 設備もピアノも要らない、とにかく思いっきり歌いたいという意思に突き動かされ、昨日小さな公民館の部屋を借りて、ラジカセの音源だけで9名が歌いました。 楽しくてしょうがないという笑顔で、口角を上げて、喉を開いて、精一杯歌うみんなの中に居ることが幸せでした。 私に歌う機会と仲間を与えてくれたのは、やっぱり神様の力というより、それぞれの意思の力だと信じたい。 ゴスペルを歌う者にとって、ノンクリスチャンであるということは、日本にゴスペルが入ってきた当初からずっと続いている根源的な問題でもあり、おそらく真剣に歌う人は必ずぶち当たる壁だと思います。 私も何が答えなのかは解らないままですが、歌いたいと心の底から突き上げてくるような想いがある限りは、ずっとゴスペルを続けていきたいと願っています。 ■
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by mukougishi
| 2007-04-27 22:35
| emmie
お、思わぬ早い復活。しかも前編後編に分かれるのね。
それを横目で見つつ、こっちも対抗しますかね。 こっちも今年の年初以来色々あったのですが、 せっかく大阪に帰って来たのだから、自分が元々好きなサッカーチームの応援に本腰を入れようと、 まずはそこのサポーターコンベンションに参加したのですよ。 聞き慣れない言葉ですが、要はサポーターとチームのフロントが直接話をするという会合です。 ちょうどそれと前後して、mixiでとあるコミュニティに入ったのです。 それは、そのチームを応援していこうというコミュでは勿論あるのだけど、 単に試合についてあれこれ語って行くのではなく、 チームを色んなやり方で応援して行こうじゃないか、 それを色々提案しあって何かムーブメントを作り出して行こうじゃないか、という趣旨で作られたのです。 そこの管理人さんと二人で、サポーターコンベンションに参加したのですが… クラブ側の幹部3人は危機意識がなく「1年でJ1復帰」なんて軽く言うわ、 声のでかいサポーターだけが制空権を得て好き勝手喋るわ、 訳知り顔の見知らぬおっさんが話をこじらせるわ、とにかく散々でした。 これではいけない、と思い、コミュ内でも発言し、 ブログも作ったのですが、一向にコミュの盛り上がりがない。 それでもそこそこ人数が集まったので、一度飲み会をしようと企画したんですね。 結局10人ぐらいは集まったんですけど、 そこでコミュニティの管理人さんが、(ワシには)意味不明なことを言い出したのです。 それは… (後半に続く) ■
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by mukougishi
| 2007-04-22 21:49
| ryo-ta
初夏っていつ?感覚的には6月かな。
ってそんなにのんびりしてられませんよー。 さて、この3月から4月の間に色々とありました。 家族の変化であったり、生活環境の変化であったり、恋愛関係の変化であったり。 あんまり色々ありすぎて、私の中では飽和状態でした。自律神経失調症ってこんなカンジ?とばかりに、あちこちがどことなく不調な状態も続いていました。 医者にかかるほどではないけど、絶え間なくも弱い頭痛、胃痛、日常当たり前になってしまった立ちくらみと貧血等。 何故か持病の方には影響が出ていません。身体が精神状態に甘えてたのかな、とも思います。 実際、感情が活動停止になってしまっても、時間は容赦なく流れます。流されてくうちに視界も変わってくるもんです。 そんないつまでも流れて居られませんけどね。 さぁ、長い前置きはこのくらいにして。 どれを書こうかと思ったんですが、この2年間、私の精神状態を安定させ続けてくれたゴスペルについても大きな動きがありましたので、その件に触れたいと思います。 私が所属しているゴスペルクワイアは、メンバーが20人も居ない、小さくてアットホームなクワイアです。 地元でゴスペルというとすぐ思い出されるのは我がクワイアではなく、元々隣町で始まったもっと大きくて有名なクワイアです。そちらを選ばなかったのは、まずゴスペルをやりたいと思ってからクワイアを探したのではなく、たまたま友人が所属しているクワイアのライブを聴きに行ったからです。 客席に居ながら、ほぼ全ての曲を一緒に歌ってしまうほど、心の奥底から「あちら側で歌いたい」という気持ちが溢れてどうしようもなく、友人をせっついて練習の見学へ行き、そのまま参加しました。 それから1年と9ヶ月、たくさんの勇気と優しさと愛を、ゴスペルから貰いました。 最悪だった家族の不祥事も、遠く彼の地に居る愛しい人を想うのも、どうにもならない病気の苦しさも、ゴスペルを通して救われた部分も多くありました。 かといって、私はゴスペルを「歌って」おり、「賛美」ではなかったんです。今でも神様の存在は信じていない。それでも、伝道師でありゴスペルの先生でもある人には「数ある中からゴスペルを選び取り、自分の意思で歌うだけで、それだけで十分」という言葉に支えられてこれまで歌ってきました。 でも、ここに来て私はその「宗教観」にずっと違和感を感じていました。 そして昨日、私はゴスペルの素晴らしさと楽しさを教えてくれた愛すべきクワイアから、退会することを決めました。 ・・・長いですね。 次回へ続きます。 ■
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by mukougishi
| 2007-04-21 23:33
| emmie
げんきになって欲しいな。
あ、期限つけちゃプレッシャーか。まぁ長い長い春休みってことで。 ネタはお任せします。 ■
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by mukougishi
| 2007-04-14 21:25
| ryo-ta
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