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歌う動機。歌う場所。(後編)
分割した割に、えらく長い後編です。
しかもなんだかまとまり悪いなぁ。
それだけまだ自分の中で収拾がついていないとも言えるのですが。

それにしても、何かを愛し目的は同じはずなのに、どうしてすれ違ったり軋轢ができてしまったりするんでしょう。それぞれが思いやれば、なんてキレイゴトだけでは解決はしないでしょうね。

所属していたクワイアは、4年ほど前にとあるワークショップに参加した4名が集まったことでスタートしたそうです。
ひとりがリーダーになり、残り3人が運営を支え、メンバーが増え始めて一旦リーダーがお休みに入って交代、運営スタッフはひとり増えて結局また4人体制で、私はこの状態のときに加入しました。

最初のリーダーが降りたのは、本人の事情の他にも、運営方針の違いなどがあったそうです。
全ては人伝、あるいは本人からの説明によるもので、リアルタイムで何が起こってどうなっていったのか、肌で感じることはできません。

そして去年の秋、主に指揮・指導をしていた運営スタッフとリーダーとの方向性の違いで、指導スタッフが無期休会を選び、クワイアを去っていきました。
メンバーの中で最も経歴の浅い私には、去って行ったメンバーの方が無責任に見えていました。それは今でも全てを否定しきれないとは思っています。
が、クワイア内の不協和音は、このあたりを境に誰の耳にも聞こえるようになってきていました。

端的に言うと、ゴスペルを通して神様の存在や愛を伝えたいリーダーの運営方針に、クリスチャンがひとりも居ないクワイアのメンバーがついていけなくなった、ということだと思います。

私自身は、メンバーが何かを訴えても、リーダーの耳には入っていないように見えました。入っていたとしても、今起きている問題は全て神様が与えた試練と受け取り、訴えている人自身を見ていないようでした。

最終的なキッカケは、日頃とてもお世話になり、指導していただいている東京在住のゴスペルシンガーである先生を地元に呼び、我がクワイアが全ての運営をする形のライブを行うという大きくて重要なイベントを、メンバーの明確な意思を確認せずに運営側だけで進めていたことです。

私たちのような地方の小さなクワイアのライブとは格が違いますので、チケットの価格もそれなりになります。そのチケット売り上げのノルマがあり、売り上げ枚数が先生のギャラに直結するという企画を聞いて、それまでおおまかにワークショップ込みの合同ライブくらいの把握しかしていなかったメンバーから一気に不満が噴出しました。

とはいえ、全員クワイアを愛していました。一緒に歌い、泣き、笑ったことは全員の胸に刻まれていることで、そこから離れるという決意は、並大抵ではなかったと思います。
でも結果的には、現時点で10人ものメンバーが辞め、数人は保留中になっています。

私は元々人との繋がりを簡単に諦められない性分で、今回の件もギリギリまで考えて悩みました。まだ何か打開策があるかもしれないと思い続けていましたが、私も自身が楽しく歌える貴重な時間を優先しました。

その後、辞めたメンバーが自然と結束しだしました。
設備もピアノも要らない、とにかく思いっきり歌いたいという意思に突き動かされ、昨日小さな公民館の部屋を借りて、ラジカセの音源だけで9名が歌いました。
楽しくてしょうがないという笑顔で、口角を上げて、喉を開いて、精一杯歌うみんなの中に居ることが幸せでした。

私に歌う機会と仲間を与えてくれたのは、やっぱり神様の力というより、それぞれの意思の力だと信じたい。
ゴスペルを歌う者にとって、ノンクリスチャンであるということは、日本にゴスペルが入ってきた当初からずっと続いている根源的な問題でもあり、おそらく真剣に歌う人は必ずぶち当たる壁だと思います。
私も何が答えなのかは解らないままですが、歌いたいと心の底から突き上げてくるような想いがある限りは、ずっとゴスペルを続けていきたいと願っています。
by mukougishi | 2007-04-27 22:35 | emmie
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